ふと考えたことのメモ。
「ジャパナメリカ」に、村上隆の言葉として「日本は世界で初めて真の「終末後を生きる社会」となった」との指摘があった。これがものすごく印象に残った。
たぶん村上の指摘は正鵠を射ているんだと思うが、日本にはその例外となる土地がどんと存在する。大都市部で唯一戦略爆撃をまぬがれた京都だ。
京都は日本の他のエリアと違って「終末前」を生きているのかもしれない。日本人が京都を無視できないのは、京セラや任天堂や京都大学があるからではなく、そこが日本でありながら決定的に自分たちと違う世界なのだという感覚があるんだろう。ポストモダンに突入していない地域、過去を決定的に持ち続ける地域。任天堂が花札からファミコンに移っていったというエピソードは、そういう意味でも象徴的だろう。
戦後日本をモデルにしたのでは、と日本読者の心をくすぐったアシモフの「ファウンデーション」シリーズで、役割と設置場所が真逆の第二ファウンデーションがあったけれど、日本の第一ファウンデーションが東京(に代表される戦後日本)だとするなら、第二ファウンデーションとはまさに京都なんだろうなあ。
2007年10月24日
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